ネパール遭難日誌91

12/27(Day4)

午前6時半起床。彼が朝の挨拶(日本語で「おはよう」と)をし、板チョコを半枚差し出した(ラスト三枚のうちの一枚)。天気は久々に快晴。朝焼けが美しい。ヒマラヤの山々も見事。よく見える。
 いらない衣服などを置いてゆくことにする。今度は南東へトライ。多少危険だが、仕方ない。天気がよいため暖かい。途中で干上がった小川に、小さな水たまりを見つける。二人の水筒が一杯になったところで、再び出発。
 1時間半程経過するも、trailらしきものはなく、基本的には南へ行きたいのに、東へ東へとしか行けない(行く方向は僕達ではなく、山が決める)。地図上、東に行き過ぎるのは危険だと言うことで、1時間半歩いたところで断念し、引き返す。なんとか戻れた。
 南向きの空の見えるところで、"HELP!"の連呼。しかし空しい。("HELP!"の連呼は、それまでにも何回もしていたが・・・)
 昼過ぎ頃、あきらめて元の岩場に戻る。彼は前日、家族や友人のことや死について考えると寝るどころではなく、ほとんど寝ていないと言っていた。("sometimes panic"と言っていた)
 彼は少しでも寝て力を取り戻したい、とのことで岩の割れ目に寝袋を持ち込んで、休息した。僕は南向きの場所で、自分が死んだらどうなるか(最後は寒さと低栄養からの風邪→→肺炎にて死亡のコースか・・・)など、いろいろと考える。HIS(この旅行の航空チケットを手配してくれた代理店)や、下宿の件などで両親が大変だろうな・・・などと考えていた。いろいろ考えたり、意味もなく歌謡曲を口ずさんだりするうちに、涙が出てきた。
 数時間後、火を起こそうとするが、失敗(乾木が無かった)。仕方がないので、南向きの場所で二人寄り添って寝ることにする。寝る前に、明日の行動について彼と口論。あまりの悲観的な内容に、両者ともに嫌気がさす。

 "It's a miracle to find a trail , or to be heard our shout. I'm thinking about how to get dead."彼は言った。

 全く不毛な議論に、頭を抱えることしばしば・・・。彼も次第に泣き声になる。

"Have you thought about committing a suicide?" 彼が尋ねた。
"No, I want to try until the last moment. I want to believe a miracle. I will manage to live!" 私は言った。

 その晩は、あまり眠れなかった(少し斜面になっていたので)。