ネパール遭難日誌91

12/24(Day1)

午前11時半頃、ランドルンに向けてダンプス出発。ひとりで行動すると危ないというので、連れを探していたが、出発直後にアントニーという名のギリシャ人と出会う。33歳、エンジニア(自動車関係らしい)。山賊(mountain gang)のことを話したら少し怪訝な顔をして"unbelievable!"を連発していた。
 彼は今日が初日だという。フェディから直接(!)来たとのこと。やや疲れ気味のようだった。(無理もない。僕はフェディからダンプスだけでもしんどかった) そして今日中にランドルンへ向かうとのこと。凄い体力!と感心。しかも前日は、胃が痛くて何も食べられず、またあまり眠れなかったという。外人パワーは凄い。
 午後1時頃、ロッジにて休憩。
 午後3時半頃、あまりにupが続くのでたまらず、
山中にて休憩
(チョコレート1枚、 写真1枚)
 午後4時半頃、ランドルンの前のチュルカでの宿泊を検討。
 午後5時頃になってもまだ到着の気配なし。それどころか、道は細く
なり、ときには崖の ようなところを歩く。
 午後5時過ぎだったか、"I am confusing."とアントニーつぶやく。"This way is too dangerous for the trekking trail." 僕も全く同感で、結局引き返すことになる。
しかし、いかんせん、もうすでに暗くなり始めている。なかなか状況が飲み込めなかったが、すでに引き返すという段階ではなく、森の中で寝る準備をすべきだということが、次第に分かってきた。
 アントニーは、小川と思われるところ(乾季なのでほとんど水らしきものは見当たらない)に降りてゆき、水を探した。幸運にも小さな水たまりが、二つ見つかった。彼は消毒用のイソジンタブレットを持っており、少々汚い水もこれさえ入れれば(味はヨード臭くなるが)、飲用になるとのこと。彼は水筒に水をくみ、タブレットをいくつか放り込み、一気にかなりの量を飲んだ(かなり、のどが乾いていたようだ)。いずれにせよ僕の水筒の水(前日フェデイで補給)も少なくなっていたので、このタブレットのおかげで当面の飲用水の心配はなくなった。(水自体を探す困難はあるが・・)
 僕達は覚悟を決め、寝床を作ることに専念することにした。干上がった小川の跡に平坦な砂地を見つけ、そこにナイロン袋を引き裂いたものを何枚か拡げ、その上に寝袋を並べた。僕はライターとロウソクを持っていたので、両側の岩にロウソクを灯した(トーチは二人とも所持していた)。そしてお互いに役に立つと思われる物を、急いで出し合った。
(日が暮れると身動きが困難になる)→→板チョコ5枚ほど、使い捨てカイロ、ロウソク、ライター、手袋、ラジカセなど。露で濡れることのないよう、これらはひとまとめにして布袋に入れた。
 午後5時40分頃寝袋に入る。あたりはもうすでに暗い。少しでも暖かいように、できるだけ体をくっつけるようにする。二人でいろいろ話をした(家族、愛、SEX、国、結婚などについて)。彼は三ヶ月前に妻と別れたそうだ(separatedと言っていた・・・別居かも知れない)。とても悲しいと言っていた。
 あたりはとても暗く、たまに「パキッ」とか「ゴソゴソ」とか音がする。おそらく風によるものだが、そのたびに山賊のことを思い出した。彼は「そんなのガイドやポーターを雇わすための嘘だ」といって相手にしなかった(僕を安心させようとして言ったのかも知れない)。その他、危険な動物や雨のことも、話すたびに彼は「大丈夫」と、努めて安心させようとしていた。
 それにしても12月24日、クリスマスイブにギリシャ人と二人でネパールの森の中で野宿とは、我ながらぶっ飛んでいるなーと思った(正直言って少し面白い、あるいはハイな気分だった)。
 音楽を聴こうということになり、僕がマーラーとコルトレーンのカセットを持っていると言うと、彼はどちらも好きだと言うので、あまりの偶然に互いに笑ってしまった。結局マーラーを聴くこととなる。