ネパール遭難日誌91

エピローグ

 翌日、久しぶりの日の出を拝んだあと、村人にお別れをし、私たちは一旦ポカラへ下山し、体調を整えた。このまま帰国するのは、あまりにも惜しいし、時間的にも余裕が少しあったので、体調が整い次第、再トライすることで意見の一致をみた。二日間、ポカラのロッジで休養し(このとき、この遭難日誌も一気に記した)、今度はチョムロン(1951m)を目指してトレッキングを開始した。
 今度は、前回の反省から、ガイドを雇って、万全の体制。天候も良く、
良いトレッキングとなった。1992年1/2に、チョムロン到達。憧れの地、アンナプルナB.C.へは、これからというところだったが、私もアントニーも時間がなかった。私は1/10から、卒業試験を控えていた。アントニーも、仕事の関係でイギリスに帰らなくてはならなかった。断腸の思いで、チョムロンから下山。
 自慢するわけではないが、その後私は、卒業試験を全てパスし、医師国家試験にも合格、5月から研修医として働くこととなった。研修医の殺人的な忙しさから体調を崩し、アントニーとはそのまま音信不通の状態になってしまったが、約6年後、私から手紙を出し、やりとりが再開する。その約半年後、愛機PowerBook3400c/240を入手し、e-mailでのやりとりが始まった。彼は再婚し、2000年の1/18に、
彼の長男が誕生。そして、現在に至っている。
 アントニーには、遭難中を通して、本当に助けてもらった。彼がいなかったら、私は確実に死んでいただろう。彼もパニックになったりしたが、終始私のことを気遣い、励ましてくれた。この場を借りて、彼にお礼を言いたい。本当にありがとう。

<了>

ネパール娘たち